残り香探し 1. 玄
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誰がこのような卑劣なことを!
お前か? まさかお前なのか!?
この香りは……。
慣れ親しんだ町が氷に閉ざされる季節が今年も来た。
故郷と言っても道行く人に知り合いなど居ない。
足早に歩き去ってゆく人々を横目に私は酒場へ急ぐ。
仕事の依頼を求めて、というわけではない。
金ならいくらでもあった。
庶民なら一生働かなくていいほどの金だ。
何故あるか? 今は亡き母の残した財産を私が継いだからだ。
母は父と別れた後生家のあるこの町に戻ってきた。
母は私を養う余裕が父よりあったのだ。
母の両親もすでに無く財産はすべて母のもの。
到底使いきれるような額ではなかった。
その上、母は質素な人であったからお金を持て余していた。
それを恨む何者かに母は殺された。今、私はその者を探している。
敵討ちというモノらしいが、別にそこまで強く思ってはいない。
ただその理由が知りたいだけだった。
いつの間にか雪が降り始めていた。
傘もないので酒場に急ぐ。
地面は滑りやすく、一時も気を抜けやしない。
子供は喜ぶだろうが大人には迷惑極まりない。
酒場に着くころには足は冷え切ってしまっていた。
凍傷にはなってないだろう。
中に入っても声をかける人もいない。
こんな寒い日にわざわざ出てくるような人は
あまり居ない……今日は特にだ。
部屋の隅の席に座りカクテルを一つ頼んで、カウンターに置かれた新聞を手に取り読む。
家にも新聞はあるが、家は広く古く居心地が悪い。
そこでわざわざ此処に足を運ぶ。
屋敷は、暗く、埃に覆われ、居続ければ己もぽっかりと口を開けた迷いの世界へと引きずり込まれるようなそんな根拠のない恐怖におそわれる。
そうだ、まだあの場に逝くわけにはいかない。
「今日は冷えるわね」
母の旧友の女主人がグラスを持ってくるときの決まり文句。
「昼間くらい家にいてあげてもいいんじゃないの?」
おせっかいな人だと言ってもやめない、この女は。
「勝手だろう、私の」
屋敷の不気味さなど彼女の頭には露ほどもないのだ。
彼女の記憶の中の屋敷は、美しく、華やかで、活気に満ちている。
「あの子が寂しがるでしょ?」
困ったように笑う女。
“あの子”も過去のまま、止まってしまっている。
「あの家にはもう居ない」
「どうして?」
「天国に行ってるって思うなら居なくて妥当だと思うが」
復讐に燃えるような人ではない。
突然の死さえも抱き止めて、静かに、この世を後にしたに違いない。
どこを探しても、母の名残は何一つ残っていなかった。
それは物ではない。ふとした瞬間に感じられる形無き靄のようなモノだ。
それが全くない。屋敷にあるのは薄気味悪い亡者ばかりだ。
「そうね、そうかもしれない。ごめんなさいね……」
女主人はグラスを置くと定位置に戻っていった。
今日も雪がひどい。
このままだと吹雪きそうね。
そういえば、あの人を殺した日もこんな日だったわね。
あの子の死体、まだあるかしら?
家に入ると靴が見えたわ。男物の靴が。
あらそう、生きてるの。
生き延びてしまったのね!
私を探してるのかしら?
うふふ、追ってくるがいいわ……。
返り討ちにしてあげる。
吹雪く前にこんな白けた町、出ていかなきゃね。
私は逃げ切って見せるわよ、
――貴方なんかに私、つかまらない。